善光寺の紹介

善光寺本堂

善光寺はおよそ1400年前、日本にはじめて渡来したと伝えられている三国伝来の一光三尊阿弥陀如来さまを安置して建立されまし た。 以来、一宗一派にかたよることなく、この世あの世の二世にかけてお救いくださるお慈悲の深い仏さまとして、庶民の信仰を集めて今にいたっています。

国宝に指定されている現在の本堂は、今からおよそ300年前の江戸時代、宝永4年(1707年)に5年の歳月を経て完成したものです。撞木造りという独特な建築様式で、木造建築としては奈良・東大寺大仏殿、京都・三十三間堂とともに日本を代表する規模を誇ります。
柱の一本、梁に一本、すべて庶民からの浄財で賄われました。正面向拝、四本の角柱が整然とならび参詣者を迎えます。 内部は南北に長い縦長の空間で外陣、内陣、内内陣にわかれています。 いちばん奥の内内陣には瑠璃壇があり、このご宝殿の厨子の中にご本尊が安置されています。 瑠璃檀のお戸帳の前にある三基の常灯明は永代不滅の灯明といわれております。そして朝のお勤め ・お朝事に上げ下げされる瑠璃壇のお戸帳こそがあの世とこの世との境であるといわれています。

 

善光寺如来について

善光寺仁王門

善光寺如来は生身の如来といわれ、生きている人と同じようにあたたかい体をしておられ、おすがりする者はすべて極楽往生を約束してくださる仏さまといわれています。 そして、身分の差も男女の区別もなくすべての人を救ってくださる仏さまとして慕われてきました。
昔、女人禁制があたりまえというお寺が多かったなかで、善光寺は女人の救済をして下さいました。如是姫が救われたように女や子どもを救ってくださる仏さまと信頼されていたのです。

境内近在には、熊谷直実の娘・玉鶴姫、曽我兄弟の妾・虎御前、佐藤継信・忠信の母、徳川家光の夫人・本理院と春日局、吉原の高尾大夫など歴史や物語でなじみの深い女性たちのゆかりの墓や供養塔が散在し、当時のきびしい社会制約のなかで生きた女性たちの心の支えであったことがしのばれます。
如来さまを「ぜんこうじさん」と親しくよび、手をあわせた往時の人々の姿こそが善光寺信仰の真の姿と言えるかもしれません。 善光寺如来のご利益は、いくつも語り伝えられていますが、そのなかでも極楽往生をかなえさせてくれるというご利益は、人々にもっとも期待されたものといわれています。

善光寺本堂の東側に地下に通じる入口があります。その神秘の闇に閉ざされた空間は、お戒壇とよばれ、私たちが生まれかわれるところといわれています。 如来さまを安置する瑠璃壇の下を一回りするのですが、その中央にかけられた錠前にふれることにより、極楽往生がはたせるといわれています